永遠 無 平等 我々はどこに向かうのか

東洋人の発想

多神教 自然 

西洋人の発想

一神教 個 平等

 

私は東洋人だからだろうか。

リーダーはいらない、 それぞれの個が組み合わさることでハーモニーを奏でる事が美しいと思う。

雑多な話。

 

私は未だにわからないが、なんとなく思う

色即是空 

我々は永遠にも一瞬にも存在し、同時に存在しないのだと。

物は振動している。限りないスピードで。

それは0、1という数字と一緒なのかもしれない。

0が無、1が在という意味で。

 

永遠を望むのは、同時に無であることを望んでいるのだと。

無であり続ける事が永遠ではないのかと。

なぜなら究極的には無に世界は向かっているのだ。

 

命の定義では証明できない。

だが、その在るという事を証明し続ける事は出来るのだろうか。

 

それささておき、その真理を先に知ったのがアジア的で、それは何千年前からもわかっていたから、整頓させてラベリングするのが西洋的発想だと思った。

 

https://kamomekagome1973.blogspot.com/2019/01/44-7.html?m=1

 

同じ様な事を考える人もいた。

さらに無は証明されていないらしい。

証明はされていません。

空間(真空)に強いエネルギーを加えると、そこから物質が飛び出してくる(対生成)という現象は知られています。

しかしこれも「無」からの発生ではなく、「真空」と「エネルギー」が必要です。
また、現代の物理学では真空は無ではなく物質と反物質が確率的に生成と消滅を繰り返している状態と考えられているので、その点でもやはり無から発生したとは言えません。

宇宙は無から誕生したと考えられてはいますが、どうやって無から誕生したのかについては仮説しかなく、物理学的に実証されてはいません。

そういった仮説の一つとして、
・宇宙誕生前は量子論的効果によって「大きさが0の宇宙(時空が存在しない=無?)」であるか「大きさが0でない宇宙(存在する宇宙=有)」であるかが不確定な状態にあった
・何らかのきっかけで「大きさ0の宇宙」から「大きさ0でない宇宙」に転がり落ちたのが宇宙誕生である
という説があります。

ただこれにしても、「大きさ0の宇宙」はどうやって存在したのか、それがもともとあったとするなら「無からの誕生」とは言えないのでは、という疑問は残ります。
これに対する答えは、現代の科学には存在していません。

 

 

 

 

返済その後

今後ろめたい気持ちがほぼない。

そして、人の気持ちや感情を前は考え過ぎていた気もする。

今年は煩悩に打ち勝つつもりで生きたい。

今まで自分を振り返らなかったから等身大の自分も見えなかった。

今年は等身大の自分や、心の中で感じてることを気づきたい。

人とぶつかりたくない

今まで人とぶつかりたくなかったから、悩んでる人とかと友達に、なりやすかった。

理由は、私が敵対視される事はないからだ。

それくらい弱い。いや、弱かった。

とある信仰宗教を家庭で信仰してたから、争ってはいけないというところが根底にあった。

恋愛とかできたもんじゃない。 

だから、わたしは人と正面向いて話せない。今は違うと思いたい。

 

日本と西洋の自意識

西洋は個人主義で、恐らく一神教であることに意味がある。

アメリカは若い国で、彼らの中の共通項は、信じている神様だ。

人種も違い、感覚も違う人々がお互いを理解し尊重でき、尚且つ自分に誇りをもつには崇高な何かが必要である。そうなった時に、厳重なルールが各々に課せられている事で、秩序は保たれ、また共有もできる。

 

日本ははっきりいって場の社会だ。

日本人であるというだけで、共有できる事がおおく、ルールはあるが、明白なルール以上の空気がある。