食欲と負けず嫌いと健康

私の食欲は体調がすぐれない時はさすがになくなる。

 

私は飲酒をして、次の日体調が悪くなることを利用して食欲をなくしている。

 

健康な時は調子にのるので、体調が良すぎてお腹いっぱい食べてしまう。

でも運動したくない、疲れたくないというわがままさ。

 

あと、真面目に頑張って、本気出して仕事に影響したりするくらいなら最初からふざけて自分の本気がどこまでかわからない方がいいと思ってるから、

あまり運動して正攻法で痩せようと思わないんだと思う。

 

食べる、飲むことはごまかすみたいな、、、

現実逃避というか、無心になれる、夢中になれる。

手っ取り早い。

将来の事何も考えずにすむから。

逃げたい、真正面むきたくない。弱すぎて自分から逃れたい。

安心して楽しめない。

むしろ安心というものはこないので、しっかりとそこ向き合って、最善を尽くすことでしか解消できない。

私はこの最善を尽くすという事が苦手だ。

そもそも、結局はというネガティブな思いに収まる。

等身大の自分と向き合うことがなによりも恐ろしい。

 

いつだって無責任でいたい。

自己責任がとれないのは自由ではない。

 

逆に最善を尽くすことは、人生の何を目的にするかで大分変わる。

自分にとって最善を尽くすこと、それは何が目的なんだろう。

等身大の私は自分の何に可能性を感じているのだろう。

可能性、希望は子供のとき、それが生きる支えだった気がする。

この希望があるから。希望は中身もない。今の私の虚空となったものなのかもしれない。

 

だから飲酒から逃れられなかったが、健康を失っては意味がない。生きなければならないのだ。わざわざ健康を害して辛い思いして生きることに何の意味がある。

 

今日は耳もお尻もかゆくてしんどかった。

健康である事のありがたみを感じた。

お母さん、健康に産んでくれてありがとう、、、。

 

私は負けず嫌いで常に上に立ちたいと思ってしまう。

なので、旦那に負けないようにとどこか意地をはったり、社会的に成功することで何か楽しようとしていた。

 

だが、今日改めて思ったのが、今どう頑張っても平凡で丸い人生しか歩めないということを感じた。

まずうちは不幸はあったかもしれないが、それをバネにできるほどの不幸はなかったし、平凡で幸せな価値観で生まれ育ったからだ。

 

セレブにもなれない。なりたなったのか、、、。私。と今思った。

 

そもそも、当たり前の事をちゃんとできないという劣等感を埋めようとし別の方法で考えたのが間違いだ。

 

そして凡人らしい人生をもうほぼ歩む事が見えているのだから、片意地はらずに新しい人生を考えたい。